ちりも積もらせ資産運用

ちりも積もらせ資産運用

株やポイ活などの資産運用で地道に収益をあげ,将来のセカンドライフ(またはセミリタイア)に対応できる資産形成を夢見て生きる四十雀夫婦の物語です。また、皆様の生活のお役に立つようなお得話(?)も書く予定です。

埋蔵金小話(その2)

 こんにちは,四十雀です。

 さて,今回ご紹介します埋蔵金ネタは,北海道に伝わる話となります。

 江戸時代,北海道の地には,松前氏が統治する松前藩が存在していました。
 松前藩の藩祖は武田信広という人物で,彼は元々,若狭国守護大名の子として生まれましたが,家督相続で揉めたため21歳で同国を出奔,蝦夷地の蠣崎氏の元に身を寄せます。
 信広は蠣崎氏に気に入られ婿養子になるまでに至りましたが,やがて康正3年/長禄元年(1457年),和人の鍛冶がアイヌの少年を殺害したことから発生したアイヌ酋長コシャマインの戦いに巻き込まれます。

 当初,コシャマインの軍勢は強く,和人の砦が次々と落とされましたが,信広が武士団をまとめて反撃に転じ,ついにはコシャマインを討ち取り戦いを収束させます。

 この際,伝承によると,信広はコシャマインから奪い取った大量の砂金と付近の川(知内川)から採取した砂金を,またアイヌの反乱が発生した時の備えとして,自身の居城・勝山館やそこから南に位置する こんにちは,四十雀です。

 

 さて,今回ご紹介します埋蔵金ネタは,北海道に伝わる話となります。

 

 江戸時代,北海道の地には,松前氏が統治する松前藩が存在していました。

 松前藩の藩祖は武田信広という人物で,彼は元々,若狭国守護大名の子として生まれましたが,家督相続で揉めたため21歳で同国を出奔,蝦夷地の蠣崎氏の元に身を寄せます。

 信広は蠣崎氏に気に入られ婿養子になるまでに至りましたが,やがて康正3年/長禄元年(1457年),和人の鍛冶がアイヌの少年を殺害したことから発生したアイヌ酋長コシャマインの戦いに巻き込まれます。

 

 当初,コシャマインの軍勢は強く,和人の砦が次々と落とされましたが,信広が武士団をまとめて反撃に転じ,ついにはコシャマインを討ち取り戦いを収束させます。

 

 この際,伝承によると,信広はコシャマインから奪い取った大量の砂金と付近の川(知内川)から採取した砂金を,またアイヌの反乱が発生した時の備えとして,自身の居城・勝山館やそこから南に位置する千軒岳の洞窟に隠したのだとされています。

 この話を裏付けるかのように,明治42年(1909年),樺太で死んだある女性は,7万円という当時としては莫大な金(明治20年代の公務員の初任給は50円です。),そして,埋蔵金探索が書かれた日記を所持していたため,一躍脚光を浴びるようになったそうです。

 また,信広の子孫にあたる松前勝広子爵が大正8年(1919年)に埋蔵金探しのため人夫を募集したとも言われているそうです。

 ちなみに,信広は埋蔵金を埋蔵する際,トリカブトを使った罠を作ったのだとか。
 そう言えば,アイヌ人はトリカブトの毒をよく使い,ヒグマが通りそうな道に自動的に発射できる弓矢の罠を設置していたと言います。
 もしかすると,この地に残る埋蔵金も,このような罠に今も守られているのかも知れません。