埋蔵金小話(その3)
こんにちは,四十雀です。
さて,今回ご紹介します埋蔵金ネタは,前回に引き続いて北海道に伝わる話となります。
今回の埋蔵金に関係する人物の名は源義経,歴史の教科書で見たことのある方が殆どかと思います。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟である義経は平家討伐の合戦で活躍するものの,頼朝の許しを得ずに後白河法皇から官位を得たことで対立,奥州藤原氏を頼り落ち延びますが,頼朝から圧迫された奥州藤原氏により文治5年(1189年),衣川の地で自刃に追い込まれます。
・・・と,まぁ,ここまでが史実として今に伝わる話ですが,実は義経は衣川の地を脱出し生き延びた・・・という伝説が,北海道や東北地方に多く伝わります。
今回ご紹介する話も義経伝説に関係するもので,なんでも,衣川の一件の直前に姿を消した義経の家臣・常陸坊海尊が北海道に渡り,奥州から運んだ黄金と北海道の地でアイヌ部族から集めた砂金を,北海道恵庭市島松から10Km程の場所にある熊の沢という所に埋め,その場所を書いた地図を4人の家臣に分割し守り抜くよう指示したとされています。
この埋蔵金のその後は不明ですが,大正時代から昭和初期にかけて,上記した地図の一部が世に現れ,その地図を元に埋蔵金を探そうとした人がいたそうですが,結局見つけられず,現在ではこの地図の行方も分からないのだそうです。